伝説の料理研究家。
おこしやす つらら庵 ♪
こんな料理研究家がいたらどう思うだろう。
彼は料理にまつわる様々な知識を蓄えている。
彼はいつも、この世のどこかにあるとされる人知を超えた甘美な食材を探している。
それは遠い遠い南国にあるという説もあるし、北は大地の凍てつく氷山にあると言う者もある。
彼は思う。
その食材さえ見つけることが出来れば、天下一の料理が作れると。
彼は日夜、食材の在処を探るのにあらゆる文献を漁り、識者の話に耳を傾ける。
しかし、東西南北どこを探してもその食材は見つからない。
‥とうとう彼は長年の研究も虚しく、老衰のためにこの世を去った。
部屋には錆びついた料理道具と、幻の食材についての山のような文献が取り残されているのみだった、、、。
どうだろ?
こんな料理家虚しくないか?
ちなみにこの料理家は毎日カップラーメンとサトウのご飯で過ごして来た。
‥ちょっとリッチな日はこれにデザートの菓子パンが付く。
こんな滑稽なことあるやろか。
‥でもね、どこの分野でもこれと似たような事が巻き起こってると思う。
絵の世界でもそう。
いつかこんな素晴らしい絵を描いてやろう!
衆人の耳目を驚かせてやろう!
‥と意気込むのはいいけど、先のことばかり思い描いて今日描けてないでは意味がない。
思ったより人生は短いかもしれない。
先の料理家で言えば、彼よりも冷蔵庫の余り物で家族を今日喜ばせる事ができる主婦の方がよっぽど偉大なわけや。
世間は何を成し遂げたかでしか見てくれない。
自分がどんだけ芸術に対して高邁な思想を抱いてるかなんて、自分にとっては我が子を抱くように大切でも周りからしたらほんまにどーでもええことやねん。
思想で食うて行くなら筆を折って哲学者や評論家になる方がいい。
画家は絵を描かないとほんまにダメ。
ただでさえ芸術家として、普通は耐え忍んでいくであろうこの世のあらゆる一般的試練を免除されている落伍者なのに、(そんな芸術家ばかりではないが、結構こういうタイプは多い。自分もそう。)
その上描かないとなるとほんまにクズの中のクズ。役立たず。
明日素晴らしい絵を描くことよりも、拙くとも今日描く事が大事。
情熱とは内なる物で、それが表に出ない事には他人には決して見えない。
まぁ贔屓目に見てくれる家族や、優しい親戚のおっちゃんおばちゃんくらいならわかってくれるかもしれんけど。そんなんでえぇの?
よーないはず。
趣味ならいざ知らず、一旦これで生きていくと決めた道はしっかりと歩まんと、厳しい言い方をすれば死んでるのと同じだと思う。
‥以上、自戒を込めて語ってみた。
ps.
あ、何故かまた一月くらい前からスターが付かない病になってます。ちゃんと皆さんの記事見てます〜(^^)
また、おこしやす つらら庵 ♪