恐怖のお誕生会。
おこしやす つらら庵 ♪
昔の先生ってよく感情を生徒に見せたよなぁと思う。
いや、しょーちん。も学生生活は疾うに終えているので、(というか考えたら満足に学校行ってねーし)昨今の先生事情を肌で感じてはいないから比較は出来ん。
でも、なんとなくしょーちん。が小学生だった頃のような先生ってもうおらんねやろなぁと感じる。
昔の先生はとにかくよく怒った。
というか、感情を剥き出しにした。
何の時に怒られたのかは失念したが、
「何がエッチスケッチたまごっちですかっ!」
のフレーズと共に頭を女先生に叩かれた記憶もある。
全然覚えてへん。そんなしょーもない事を僕が言ったの?やばいやん。
それとも誰かが言うてたんに、巻き添え食った形か?
‥まぁ、最高にどっちでもええわ。
それとは別の話で、とあるお誕生会のこと。
今ってどうなんやろ?
学校お誕生会みたいなイベント自体無いのかな?
しょーちん。の小学生の頃は毎月そう言うイベントがあって、お誕生会進行委員なる生徒の業務まであった。
業務内容は、各月に該当する誕生日の生徒の割り出しと、会のプログラム進行、及び準備である。
えらいもんでしょーちん。の通ってた人数の少ない田舎学校でも毎月同程度の数の生徒が誕生日月に該当する。
せやから普通の学校の子よりは同じ誕生日の月の子を覚えてるかなぁ。
イベントっつーても、該当した子らが前に出て、みんなで拍手を送り、歌うとたり一年の抱負を聞いたりするだけの簡素なもんやけど、なんか"特別な日感"は漂ってた。
つつがなく毎月開催されてたんやけど、ある月に事件が起こった。
あろうことか、お誕生会進行委員の子らが、S君だけピックアップし損ねた。
それに気付いたのは会の当日数時間前。
このささやかな会にはささやかながらも準備が一応色々あって、前にデカデカと誕生日の子達の名前を模造紙かなんかに相撲の力士紹介の如く名前を書き出して、そこに確か皆んなからの一言寄せ書きや、誕生日をむかえる当人のコメントの記載など、少なからず事前の準備が必要なの。
そこにS君の名前はない。
でもうちの学校って相当緩慢な空気が流れてたんやと思う。
ミスを犯したお誕生会進行委員の子達も少し笑いまじりで、「S君ごめん〜、忘れてた〜。」みたいに謝って、S君当人も「ちょっと酷ない〜?」って笑ってたの。
多分生徒間では、この世に生を受けた特別な日を祝おうみたいな深刻なもんとして捉えてなくて、「普通の拘束される授業ではない楽なイベント」的な捉え方やったんやと思う。
子供は無邪気やから。
‥でも数十年生きてきた初老ともいえる先生には、この会の強引な進行に、幼い生徒にはまだ見えない"人生の陰"を読み取る。
S君が本心で傷ついていなかったかと問われたらしょーちん。にも本当のところわからん。
でも、ほんまになんか皆んな無邪気な感じではあってん。
で、そのまま委員会の子らは会を進行しようとしたの。S君は次の月に入れようみたいな形で。
小学生には身の丈くらいありそうな大きさの、丁寧に丸めたプログラム進行模造紙を、古巻物を解くかの如く小学生の2人が左右に分かれてクルクルと広げようとしたその瞬間やがな。
「ちょっと待ち!」
一人の女先生が憤怒の相で進行を止めた。
多分委員会の子らの進行をずーっと静かに見ていたんやと思う。
その先生はね、担任では無いんやけど、しょーちん。の学校にはなんちゅーかな?副担任みたいな生活の指導を補助的にする先生が居て、その先生がイベントの時なんかはいつも現れた。
「あなた達は、今何をしようとしているか分かってますか!これだけの同じ月の誕生日の子達がいて(該当月の子達を指差しながら)、S君は自分だけ除け者にされてお誕生会をしなくちゃいけないのよ!これがどんな酷い仕打ちか分かってますか!!!」
確かにそうや。
考えたら酷い。
その時な、先生めっちゃ泣いてて鼻水も床に付きそうなくらい垂れてたの。
これマジやで。言うてることよりも鼻水が正直気になってしゃーない。
いや、わろたらあかんねんけどめちゃくちゃ強烈に覚えてるし、「そこまで怒らんなんかな?」と幼いながら思った事も覚えてる。
というか、もっと言うたらS君が一番困ってたように思うし、更には普通に誕生日を迎えるはずだった他の子達の凍った顔ね。
あの光景は凄まじかった。
結果会は中止になって、予定されてた2時間余りは丸々急な道徳の時間にすり替わった。
もちろん怒られてる委員会の子らは皆んな大泣き。
「S君はどう思うの!こんな酷い事をされて!正直に言ってみなさい!」
実はS君が1番泣きそうな顔になってた。
なんか、いまだに感情が整理できない事件やねんけど、何が言いたいかっていうと、とにかく昔の先生は喜怒哀楽を素直に出したと思う。
いい意味でも悪い意味でも。
ふつーにえこひいきもあったしね。
その辺めちゃくちゃ人間。
今ならどうなんやろ?
あくまで先生として冷静に色々なことに対処するんやろか。
「S君だけ入れずに会の進行はできませんね。次からは気をつけましょう。どの段階でのミスだったのか、みんなで考えてみましょう。」
あのお誕生会の先生の憤怒の制止が結果良い事だったのかは、逆に先生になっててもおかしくない年齢になったしょーちん。にもよくわからん。
でも、なんか生徒と対等に人間してくれてたなぁ〜と思う。
今やったらあらゆる立場からクレームくる事案やろな。
「うちの子は関係ないのに、とんでもない先生のおかげでせっかくの誕生日がトラウマになり、以来うちの子はケーキを食べたくないと言っています。良ければ拡散してください」
‥みたいなのもツイッターで拡散されるかもしれん。
先生も感情を出せなくなってるんかも。
でも、先生ももちろん人間で、その先生から人間を学んだとしょーちん。は思う。
悪い方に"人間"が出ると恐ろしいから一概には言えないけど、もう少し世間の見方も、
「先生だって生徒にこういう場面でなんて教育を施していいかわからないけど、心から悲しみが襲ってきたあまり鼻水垂らして泣きながら激怒することしか出来ない事もあるよなぁ」
みたいなゆとりがあってもいいと思う。
でも怖いね。自己中の先生がやりたい放題しよるかも。
教育って難しいよ。先生かて未熟やし生徒にどう説明したらいいのかわからん事も正直普通にあるしな。
恐怖のお誕生会は、なんだか割り切れない、答えのない事件やったけども、なんか生きて人間と接していく上で大切なものを孕んでたように今も思う。
先生は覚えてるかな?あの事件のこと。。
また、おこしやす つらら庵 ♪