オール・バインド。〜真面目に、そして個性的に〜
おこしやす つらら庵 ♪
和訳すると、二重束縛。
この言葉を知ったのが、確か、何かの凶悪事件を起こした犯人を生い立ちから考察する、みたいな本やったと思うんやけど。
‥これは、しょーちん。が小学生、中学生の時によく歩いた散歩道。
ここを昨日久々に歩いてみて、何故かこの言葉を思い出してん。
少し辛い感情も蘇ってくるからやろか。
‥‥‥
親が、子供が何か悪いことをした時に叱るのは当たり前。
「ちゃんと挨拶しなさい!」「物は使ったら元の場所へ!」「人の悪口言っちゃダメ!」‥
でも、それには前提として必ず逃げ道が用意されていないといけない。
例えば、キチンと挨拶をすれば褒められる。
整理整頓が出来れば怒られない。
人に優しくしたら、逆に優しくされる。
当たり前の事だけど、これが出来ていない叱り方も沢山ある。
袋小路の怒り方。
「なんでそんな事いちいち聞くの!自分で考えなさい!」
「勝手に自分で決めずに先に聞きなさい!」
子供が動いた結果だけを見て叱る。
結果上手くいけば褒めてもらえるかもしれないけど、少しでも思わしく無い結果だと、どの道叱られる。
言わば、絶対にゴールできないスーパーマリオをやらされているんです。
難易度を無視したクリボーやノコノコで四面楚歌のマリオ。
そやけどいちいち丁寧に倒して避けてたらタイムが追いつかない!
そんなゲーム、おそらく3日も経てばテレビボードの収納に仕舞いっぱなしになる。
なぜなら、、、
「どーせクリアできないから。」
世に稀に見る凶悪犯罪を起こす人間は、幼い頃から親に、そのようなダブル・バインドを掛けられている事が多いとの研究結果もあるそうです。
どの道叱られる。何やってもゴールはあの怖い顔。
そうなると、夢を見ることをしなくなる。
てか、夢の存在すら疑ってかかる。
「この世は地獄ではないか?」
なるべく怒られないよう、その場で体育座りをして固まる。
好きなことを一所懸命にしても、少しでも夢に向かう過程でつまづいてあんなにも怒られるなら、もう身動き取らずにじーっとしてた方が返って得。
その思考回路に至ると、人間は心を殺し、その殺心(さつじん)の代償として、見えないフラストレーションは澱のように心の底に降り積もる。
‥これは極端な例だけどね。
今の世の中全体を見てると、ダブル・バインドに近いものも感じる。
この場合は親ではなく社会全体。
一個人に求められるのは、夢を探求する心と、人間としての魅力。個性。
キラキラ感!
でも、一般社会人として求められるのは安定。
卒の無さ。無個性。淡々と仕事をこなす能力。
個性は往々にして社会の敵である事が多い。
‥小、中学生のしょーちん。が家から程近い記事冒頭の道を歩いていた時にも、この課題はきっと頭をもたげていたんやと思う。
しょーちん。は絵が好きだった。
その絵で、周りの人からはとても褒められた。
素晴らしいと言われた。
でも、陽があれば陰があり、また、陽が強まれば陰も強まるように、社会に馴染めず、学校に行かず絵を描くしょーちん。は、また批判もされた。
「何してるの?ちゃんとしなさい。」
面と向かってそう言われた事もあるし、誰かと話している時、相手の心に、しょーちん。に向けられた秘めた批判をモロに感じる事もある。
「絵を描けるのは素晴らしい。でも、みんな嫌なこと我慢して学校へ行き、働いてんだよ?何遊んでんの?ちゃんとしろ。」
みたいなね。
それは、個々の価値観の違いでもあるけど、凡そ世間一般ではやはり絵を描くというのは趣味の領域で、心のリフレッシュに用いられる物だと捉えられている節がある。
ちゃんとしろ?
そもそも、その"ちゃんと"ってなんなの?
心が嫌うことを嫌な顔して嫌々することがちゃんとする事なん?
でも、もしそうであれば、端的にこの世は地獄やんね?
しょーちん。が学ラン着て、怯えながら学校行くことがちゃんとした事やったのか?
じゃ、色々と自分の行末を考えながら学校行かずにあの散歩道歩いてたしょーちん。は、"ちゃんと"してなかったんか。
‥しょーちん。はね、あの不登校時、自分の思った形と違う方法で社会に晒されるという苦痛から逃れて、やっとの事でしょーちん。にしかできない絵に出会った。
草の根分けて探した安全な道。
いばらを、手を血だらけにしながら掻き分けて見つけた道やねん。これでも。
でも、ここを歩いててもやっぱり怒られる事もあるし、後ろ指差される事もある。
じゃ、どうすりゃええねん?
どうせみんなが歩いてる舗装された道路を歩いてても、夢を諦めたやの意志が弱いやの言うて批判すんねやろ?
大きな水たまりを一飛びで颯爽と飛び越えれたら拍手喝采!
失敗して全身泥水だらけになったら大ブーイング!
もしくは、まだ飛び越える為のイメージトレーニングをしてる段階で、
「なにしてる!早く飛べ!」
おかしないか?
‥いや、世の中はそんな物なんですけどね。
でも、しょーちん。個人の話で言うと、結果だけを見て批判するような人間には絶対になりたく無い。
「そうか、お前は長靴も履かずに水たまりを飛び越えようとしてんねんな」
その事実だけで尊いとしたい。
他人に迷惑をかけたり、苦しめたりしていないのならオール・オッケー。
被災地に寄付をしても偽善だの売名だの言われ非難される事もある時代です。
そんなとこでちゃんとする事がちゃんとした生き方なら、全然ちゃんとしてなくて良いわ。(笑)
言わば、ダブルとごろかこの世の全てが束縛。何しても非難する人はする。
インターネットの普及、生き方の多様化を迎えた今、オール・バインドの時代が来たとしょーちん。は思ってる。
そのかわり、ずーっと我慢して生きてく人と、我慢を一切せず、しかし、自分の夢に忠実に、自由に生きていく人がクッキリ半々に分かれる時代だとも思ってる。
な?無難に行動してれば、怒られる事は無いにしても、何しててもやんわり非難される時代やねん。
それを自覚せなあかん。時代は10年前と様変わりしてんねんで。
せめて、自分の歩きやすい道を歩こう。
キャタピラの付いた耕作機は、舗装された普通の道では使い物にならんくらい鈍足やけど、皆が足を取られて歩けないぬかるみでは驚異的な行進を見せるねんで。
歩く道を、間違えていないか??
また、おこしやす つらら庵 ♪
■ひとことコラム■
昨日墓参り行ったらね、仏像倒れててん。
それを起こしといた。
なんかええ事あるかな?(笑)
ちなみにしょーちん。ママはしょーちん。のする事をほぼ許してくれました。放任というのかな?(笑)感謝!