風神雷神の魅力。 と、ハンドメイドがま口。
おこしやす つらら庵 ♪
まいどっ、つらら庵の和雑貨職人、しょーちん。なんやけど!
どう?こんな登場の仕方は?(笑)
突然なのやけどこの絵、皆さんご存知ですよね??
引用:http://www.kitanotenmangu.or.jp/sp/img_sp/s_trip/trip_img_6.png
あれっ!?
知らな~いの声が続々と聞こえて来るやんか。(^^;)
じゃあこれならどうだっ!
引用:http://www.kyohaku.go.jp/jp/img/syuzou/meihin/kinsei/item10b.jpg
ね?これなら皆さんご存じのはず。
ではさっきの絵は?
と思うでしょう。
先ほどの絵は、鎌倉時代に描かれた国宝・北野天神縁起という絵巻の一段。
讒言によって左遷され、非業の死を遂げた菅原道真公が死後怨霊と化し、元居た地に様々な災いをもたらすという流れです。
赤い鬼の様な生き物は、雷神となった道真の怨霊を表しているのでした。
実はね、風神雷神って、宗達筆の屏風があまりにも有名なのですが、昔から扱われてきた一つのテーマなのです。
先ほどの絵巻は鎌倉時代作だと言いましたが、もっともっとその歴史は古く、由来はインド。そして発展したのが中国だとされています。
引用:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/84/252c486c581cd44fa61fdaaf6068e880.jpg
こちらは中国の敦煌にある6世紀頃に制作された壁画です。
どうですか?かなり原始的な描き方ですが、何となく宗達の雷神に似てますよね(´・ω・`)
引用:http://stat.ameba.jp/user_images/20090613/22/rallygrass/63/91/j/o0600045010196282370.jpg
これらも鎌倉時代に作られた物です。
雷神の両手には独鈷所(とっこしょ。法具です。決して軽めのダンベルではありません(笑))風神は風を生み出す風袋を持っています。
この三十三間堂も京都のお寺。
同じ京都生まれの宗達もこの像を見、インスパイアされた可能性が極めて高い。
しかし、何となくこの像は怖いですよね。
禍々しいというか…。
でも、それが当たり前なんです。
山を燃やし、人々を恐怖に陥れる雷。
暴風雨で農作物や民家を吹き飛ばす風。
これら自然現象は古来から、人間が逆立ちしてもかなわない、人々にとっては畏敬ともとれる存在だったのです。
その強大な自然現象を表すために、古来の作家は神々を禍々しい姿でかたどって来た。
しかし、ある時天才絵師宗達が現れました。
時は室町時代。
引用:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/10/Fujinraijin-tawaraya.jpg
彼が描いた風神雷神図。
そこに見られる神々は、何となくおおらかで可愛い。
しょーちん。はね、なんだかこの神たちが子供のように見えてくるんですよね。
良く子供が、無邪気な顔で人が一生懸命作ってあげた積木とかを、何のためらいもなくくしゃくしゃっ!と崩すでしょ?
あの、悪気の無いいたずら顔。
この神々も、無邪気に山を燃やし、家を吹き飛ばしているように見える。
遥か天空の彼方で。。
きっと、俵屋宗達っておおらかで恰幅のいい画家だった気がするんですよ。
そして、わっはっは、と大きく笑ったに違いない。
他のどこにもない、日本独自のおおらかな美術は宗達が作り上げたのです。
これは、宗達没後200年程経って、同じ京都に生まれ、宗達に私淑した尾形光琳の風神雷神図です。
もちろん宗達の模写。
やっぱり個性って出るんですね。
光琳作は少し知的な画面作りが見られます。
さらにさらに、こちらは宗達と光琳に私淑した鈴木其一の模写です。
このように、狩野派みたいに血縁で代々続いてきた流派ではなく、琳派は言うなれば宗達に恋をした男どもが、その愛ゆえに、かってにリレーして続いてしまった流派なのです。
僕の敬愛する加山又造もその恋しちゃった系男子の一人。(笑)
しかし、加山又造もすでにこの世を去りました。
さて、次は誰が引き継いでいくのやら…
!!!
まさか、しょーちん。!?
じゃ~ん!
作っちゃったよね~~~!!!!(笑)
次代の宗達になるのや!
しょーちん。は!!(。-`ω-)
このがま口にご興味のある方は、この記事の下にあるヤフオクの画像リンクからおこしやす~♪(笑)
それではこのあたりで!
今日も一日ありがとうございました~☆
また、おこしやす つらら庵 ♪