つらら庵の秘密。。。
おこしやす つらら庵 ♪
今日は私がつらら庵についての秘密を教えて進ぜよう。
なぁに、しょーちん。と庵主は疲れて今日はブログを更新せぬ。
私の名前か?それは後程じゃ。
ふっふっふっ。
つらら庵の起源は遡る事戦国時代。
血で血を洗う戦が続いておった。
刀に美しい彫刻を施す彫金師は、「戦に意匠は不要!」と、その華麗な技を封じ、戦力強化のみを追究した無骨で素っ気ない刀作りを余儀なくされ、
牧歌的な絵や、女子供が血なまぐさい日々のよすがにするようなあでやかで優しい美術品もいつしか、大名の威厳を高からしめる狩野派などの荒々しい美術品にとって代わった。
兵は疲れ、民は飢える。
ただ、群雄割拠の大名たちのみが己の野望を実現せんが為にその眼を血走らせる…。
いつしかこの荒廃した日ノ本に、誰もが救世主を求めるようになった。。
…ある夜、神の遣いが現れた。
足が四本、三色の毛並み。
その色は四色という者も、虹色だったという者もあったが、実際に庶民の間でその姿をまじまじと見れた者はおらなんだ。
その遣いは荒廃した日ノ本全国各地を行脚し、戦に勝てる武器、道具のみを作る魂を売った職人たちの目を覚ます流浪の旅を続けた。
職人たちには隠すことなくその姿を見せる。
いつしか全国の職人たちも、その遣いの元で改めて腕を磨き、戦に勝つ為の武器作りよりも、自らが持てる技術全てをつぎ込んで作り出す美術品の美しさで世に平和をもたらせることに気づき出した。
そして、牛歩ではあるがやがて日ノ本は戦をすることをやめ、今現在の平和な日本になったのじゃ。。。
しかし、今もなお完全に平和になったとはいいがたい。
テロ、凶悪犯罪、人間の堕落…
戦国の世、神によってこの日本に遣わされた救世主の役目は今も子孫代々続いておる。
「すべての人類が美と愛で笑顔になれる世に…」
そう、つらら庵の庵主・つらら、正式にはつらら流第775代目庵主が戦国から脈々と続く救世主の子孫なのじゃ。
ただ、この755代目はとてもぐうたら。
全国行脚の布教などせん。
しょーちん。と言う、そこそこ腕の良い職人を見つけてからというもの、家に住み着き、しょーちん。にアレを作れコレを作れと指示するだけの救世主始まって以来の破天荒さなのである。
困ったものじゃ。。
もうおなじみのつらら庵家紋。
この奇怪な動物は何か分かるかの??
クマ?トリ?
中には、魚なんていう者もおる…。( 一一)(笑)
刮目せよ!庵主の顔をよく見るのじゃ!!
線を引いてみたが、もうお分かりかのぅ?
そう、あの家紋は庵主の鼻の模様をデザイン化した物なのじゃ。
分からなんだであろう??( ˘ω˘)
何はともあれ、この家紋の元つらら庵は、世を手作り美術品で明るく楽しくしてゆくのであった…。
わしか?わしは戦国時代に初代庵主を遣わした美と平和の神じゃ。
ふっふっふ。。
おっ!奴が起きてきよった!それではまたのぅ。
ふっふっふ。
こんばんは!しょーちん。だいっ!
いや~。今日は忙しくて作品の紹介しかできません~!(*''▽'')
また明日じっくり記事書きますね☆
ミンネさんにこの前ご紹介した物を出品しました☆
よければ覗いてね!('ω')ノ
それでは~!
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また、おこしやす つらら庵 ♪