笑いと成仏。
おこしやす つらら庵 ♪
ども、和雑貨屋つらら庵の職人、しょーちん。です。
今日はね、笑いと成仏の話。
一見関係ないみたいやけどね、笑いはある意味成仏やと思うことが多くて。
しょーちん。、桂雀々さんの話めっちゃ好きでね。
雀々さんって、落語会ではものすごく早咲きの天才で。
確か、真打に最年少で出たんやなかったかな?
(あれ、春風亭小朝さんやっけ?)
でも、雀々さんの半生ってめっちゃ悲惨なんよ。
僕も事細かに覚えてないんやけど、なんせ幼少の頃母が男グセが悪く、幼い雀々さんを置いて、男と家を出て行ってん。
そして、やがて父親まで子を捨てて家を出て行く。
最悪なことに、父親には借金もある。
1人、誰も頼るところがなく泣いていた雀々さんの所に、借金の取り立てが来る。
「おい坊主、おとんどこおるんや!隠さんと言え!」
父親の居場所を知りたいのは雀々さんの方やねんけどね。(笑)
だから、隠さずに事の次第を取り立て屋に言った。
すると、その取り立てのおっちゃん、不憫に思ったのか目頭が熱くなり、5000円を置いて、もう二度と雀々さんの所には取り立てに来なかった。
それから、ご近所さんの世話や人情で学校も行かせてもらうんやけどね。
そのうち、話してみんなを笑わせることが大好きだった雀々さんは、優しそうな人柄、そして類い稀な話芸の持ち主、枝雀さんに弟子入り。
メキメキと頭角を表します。
そして、時を経て世間的にも盤石の地位を確立したのちの話。
ある高座を終え、楽屋へ向かう廊下の先に、何やらおぼろげな懐かしさを覚える女の人の姿が。
なんと、数十年ぶりの実母の姿でした。
その時に母から出た言葉。
「いやぁ〜!久しぶりやないのぉ〜!元気にしてた?雀ちゃん!」
なんと、自分の実の息子の名前を、高座名で呼んだらしいんです。(笑)
またその話をね、雀々さんが持ち前のトークで笑いながら言うねん。
「お前の産んだ子供やろ!お前のつけた名前で呼べ!(笑)」
こういう話ってさ、語り手によっては本当に悲壮感漂う話にも出来てしまうやん。
だって、自分を捨てた母親がよ?高座名で、しかも略して呼んでくるねんで!?
普通怒りやら悲しみやらで、どうもならんなるよね。
もちろん雀々さんも全部が全部吹っ切れてる訳ではないと思う。
でも、言うねん。
「母はほんまに楽天家でねぇ。これでみんな振り回されてんねんけどね、この母の楽天に私は救われてるとこあるんですわ。」
前置きが長くなったけど、人生を生きる道の上で、とんでもない深手を負うことが多々ある。
人にもよるけど。
その1つ1つの悲しい記憶が癒えたか癒えてないかって、しょーちん。はそれを笑いに変えれるかどうかやと思ってるねん。
成仏ってさっき言ったのもそうで、成仏はその名の通り、あらゆるものを吹っ切って、仏に成る。
いまだ成仏出来ない想いや念は、まだまだこの世をさまよう自縛霊なんやね。
ほんまに自分がケジメ付けれてない時って、笑いにならんねん。
笑う気もしない。
でも、後々思い返した時、大抵大きく傷ついた事って、普通の人生を生きてた人と比べてどこかユーモアを含んでるねん。
簡単に言うと、ピエロが玉に乗れずに転ぶシーンを観客が笑う。
そして、笑われてる自分も、どこか達成感がある。嬉しい。おかしい。
ここまで来たら、もう自分の悩みは、時々疼く事はあれど、大事件ではなくなってると思う。
しょーちん。にもいまだに笑いにならん事、それからもう自分から売りに行くくらいこれはしょーちん。の十八番!ってくらいの自虐ネタもある。
これが現世で生きる人間の成仏やと思うねん。
成仏せんならんのは死人だけちゃうのや。
‥あ、でも、何でもかんでも笑いを強要したらダメやよ。
その悩みの渦中にいる人にも、決して言ってはダメな言葉やし、あくまでその悲しい出来事を1番に笑いとして話し出すのは、本人でないとダメ。他人が1番に笑うのは最低やよ。
でも、もし、周りの大切な人が勇気を振り絞って自分の悲しみを成仏させてる場に居合わせたなら、どうぞ笑ってください。
ハンカチは要らないよ。
大笑いすることこそがこの場合最高のお焼香であり、供物やと思う。
‥それにしても、、、
自分の愛する息子を何十年も時を経た感動の再会の時に高座名で呼ぶて、、、、
しかも、略して!!!
雀ちゃんやて!!!!
笑笑笑笑笑笑笑!!!(≧∀≦)
また、おこしやす つらら庵 ♪