"いしぶみ" 全人類の罪悪の記録
おこしやす つらら庵 ♪
今日は少し真面目な話をしたいと思います。(そんなん出来るんかって??(笑))
昭和20年、今から70年も前の事。
日付で言えば丁度昨日の8月6日の事です。
広島にこの世の物とは思えない地獄の業火の様な爆弾が落ちました。
原子爆弾です。
広島の原爆だけでも30万人という罪もない一般市民が亡くなっています。
恐ろしい数字です。
この”いしぶみ”という本は、その被災者の中でも広島2中と言う中学校の生徒に焦点を当て、被災してから亡くなるまでの様子を遺族や先生が伝え、残しているものです。
(因みにこの広島2中の1年生は全員外で被爆したため全員が亡くなっています)
読んでいると、子供とは思えないほど最後までたくましく立派で、皆が家族思い。
皮膚はただれ、全身大やけどで意識ももうろうとし、水を飲むことも許されず、地獄の様な苦しみの中亡くなっていった子供たち。
この本は決して面白おかしい本では有りません。
むしろ、読むに堪えないほどの悲惨な内容ですが、僕たち日本人には知って置かなければならない現実でもあります。
遠い昔の話…
そうでしょうか??
今各国は不穏な雰囲気に包まれています。
いつ何時どういう事態になるか分かりません。
さりとて、原爆投下の張本人・アメリカを恨めばいいのかと言うとそうでもないような気がします。
鼻の低い、高い、肌の白い黒いは関係なく、僕たち人類が犯した過ちだと思うのです。
(現に当時の日本人は今の北朝鮮とほとんど変わらかったのです)
どんなことがあっても戦争だけはしてはならない。
この本を読んでいると心からそう思います。
罪もない可愛らしい子供たちがどうしてこんな目に合わなければいけないのか。。
亡くなった子供たちの最後の様子をこの本からいくつか紹介したいと思います。
それぞれ最後を看取ったご遺族や救護所の方の証言です。
小野淳くん
「お母さん、帰りましたよ」と言ってくれたのですが、顔がやけどで腫れあがり、手当の仕様がありませんでした。
やけどで痛かったのでしょうが友達の名を呼んではがんばれといい、思い切り水を飲みたいと申しました。
数を数えてみたり友達の名前を呼んだりして気を紛らわし、我慢して苦しいと一言も漏らさず、その夜、七時半に死んでしまいました。
水田汎くん
お母さんたちが寺に駆け付けられたのですが、(当時はあまりに被災者が多かったので、学校や寺は臨時の救護所になっていた)死んでゆく人が多くて遺体を見つける事が出来ませんでした。いくども調べて、寺の人から七日の朝(原爆投下の翌日)井戸の傍で水を飲ませてあげたが、しばらくして”君が代”を歌い、万歳を三唱したあと、
「お母ちゃん、お母ちゃん」と言って泣きながら倒れたのが最後だったという様子が分かりました。(この子は結局最後は家族に看取られることはなかった)
山下明治くん
明治は亡くなる時弟、妹のひとりひとりに別れの言葉を言い、わたしが鹿児島のおじいさんになんと言いましょうかと申しましたら、「立派に」と申しました。
死期が迫り、わたしも思わず「お母ちゃんも一緒に行くからね」と申しましたら、
「あとからでいいよ。」
と申しました。その時は無我夢中でしたが後から考えますと、なんとまぁ意味の深い言葉でしょうか。
「お母ちゃんに会えたからいいよ」とも申しました。
……
ここで挙げた子供たちの惨状はほんの一例です。
当時このような人は沢山いました。
苦しい死に際、愛する人に看取られる事すら叶わず、ドブに落ちたまま死んでいった人々。。
もう絶対にこういった世にしてはいけません。
そして私たちは、こういう記録や書籍を読んで学び、今現在衣食住が整い楽しく生きていける事がどれほどありがたい事かを時には思い出さないといけないと思うのです。
人間は嬉しい事も悲しい事もやがては忘れてしまいます。
広大な海とも言える煩雑な私たちの生活に、こういった本が錨や灯台の様にしっかりと指標を与えてくれているのはありがたいと思うのです。
~すべての戦災で亡くなった方たちのご冥福をお祈りいたします~
また、おこしやす つらら庵 ♪
〇今日の水墨DEアニメ〇
「のび太」
8月7日の今日はのびちゃんの誕生日なんだよ♪