思い出す。
おこしやす つらら庵 ♪
「自然は全てを生み出し育む母のようなものだが、時に残酷な継母となる」
レオナルド・ダ・ヴィンチにこのような言葉が有ったと思う。
しょーちん。も、幼い頃両親と共に海へ夜釣りに行く事が良くありました。
夜の海ってね、めっちゃ怖いんですよ。決してロマンは感じなかった。
青黒く、底があるのか疑われるほどの広大な海面。
防波堤の近くには、ペットボトルの残がいと、その他名前も分からない漂着物が不気味にたゆたってて。
「ちゃぽん、ちゃぽん」
と微かな音を立てる漣も怖かった。
人類、もっと言えば、あらゆる生命体は海から生まれたとされる。
生命を生み出し育む物、海。
しかし、流石は慧眼のダ・ヴィンチ。
その海は時として生命を飲み込む残虐な継母となる事も見抜いてたのかな。
思えば太古、神が堕落した人類を”濯いだ”のも海を使っての事だった。
数えるのも怖くなるほどの人々が死んだ。
そして生き延びた。
人間って忘れるじゃないですか。
芸能人の子供の名前、上司の妻の顔、お歳暮に貰った、中身もよく確認せず床下に仕舞った缶詰め。
そんなんはえぇ。
時として人間は、忘れてはならない様な事、深い悲しみを負った日の事、それすら忘れようとする。
あんなに酷い事が巻き起こったのに。
あれだけ悲しんだのに。
なんで…。
でもね、忘れると言う事。
これは人間がより良く生きるための自衛の本能なんですよね。
実際、親兄弟を遠き日のかの戦争で亡くした人でさえ、今や大して面白くもないお笑い番組を見て笑うんです。
それは悪い事でも何でもない。
悪いとすれば、”忘れっぱなし”ということなんじゃないかな…
人間には何故か、”思い出す”という性能までも備わってる。
人間はアホや。
調子ノリや。
ほっとけばどこまででも道を外れて進むし、過去の教訓もどこ吹く風。
でも、いまここに在りと言える事の有難さ。
命の大切さは、”思い出す”と言う事で再度実感するものやと思う。
一年に一回だけ巡ってくる何種類かの ”あの日” 。
こういう時にこそ、自分、ひいては、亡くなった多くの人たちが確かにいた事を思い出し、自分の心の座標軸を調整したい。
翌日からは忘れてしょうもない事で笑うよ。人間やからね。
でも、そうした ”思い出す” 日の大切さまで忘れたらあかんよね。。