型の美学。歴史を受け継ぐ事。
おこしやす つらら庵 ♪
僕は何故か前から歌舞伎の舞台裏の番組を見るのが大好きで、今日も中村屋ファミリーの密着ドキュメントを見ていました。(^^)
こういう番組の主題は、決まって子供たちの成長になります。
まだおむつも取れない頃から顔を冷たい白粉で塗りたくられ、かゆいカツラを被せられて泣きじゃくりながら舞台に上がる子供。
でも流石は梨園の子、舞台の板を踏めば立派な口上を切ります。
まだ3歳くらい。僕は何してたかな?
とてもじゃないけど周りを大人に囲まれてセリフを言う勇気はなかったやろなぁ。小さい頃からああいう大人の世界に居ると慣れるんかな。
歌舞伎や落語って、基本的には起承転結がカッチリ決まった型の美学です。
歌舞伎で言えば義経千本桜、連獅子。落語で言えば芝浜、子別れ等と、ものがたりの大筋は決まっているのに人々は何回でも同じ舞台、高座を見にゆきます。
役者によって少しづつ変わる舞台を楽しむのも大きな喜びですが、決まりきった型を見ることによって、カタルシスとでも言いたいような心地よさを見るものが感じているのではないでしょうか?
人間は自分の描く予想を裏切られるのが大好き。でも、もう片方では予想通りの展開を見るのもやっぱり好きなんです。
昨年はルーティンという言葉が流行りましたが、スポーツ選手が立証するように、同じことの繰り返しをする(見る)ことが精神安定に一役かっているんですよね。
見るだけの僕たちはそれで良い。ただ、伝統を受け継ぐ者達は黙って同じことを繰り返してゆく訳には行きません。
我田引水ですが、絵の世界もそうなんですよね。日本画で言えば、明治に入ってから欧化の嵐がこの島国を襲います。
型に沿って、流派の規範をひとつも出ない事が美徳だった日本画も、ここへ来て大きく悩まされます。
「個性」という事をこの頃から日本人は意識し始めたんですね。小説の世界で言えば、夏目漱石等の他分野の芸術家達も「個性」を意識せずにはいられませんでした。
日本画では横山大観、下村観山、菱田春草等が古い伝統を抜け出し、朦朧体という技法に代表される、新しい描き方で日本画を再建しようとし始めました。
伝統を受け継ぐ者は誰でも当事者意識が強く、伝統の中でも少しづつ新しい風を吹き込もうと日々寝汗をかいているのです。
でも、伝統を完全に否定はしない。
伝統に寄り添いつつ、その中で、自分自身がどう伝統を解釈するか。長い歴史の中でそれぞれの継承者が血と汗を流しながら作ってきた歴史が今の伝統。
個性尊重がしきりに叫ばれますが、まずはそう言った"型"を学ばないと個性も何も生まれないんですよね。自分で個性的だと思ってやっていることも、周りから見れば意外と普通だったりするもんです。
"型を知ってるから型破り。そうでなかったら只の型無し。"
しょーちん。も伝統をもっともっと吸収して、新鮮な芸術を作ってゆきたいと思うのです。
そこで、ツイッターで鳥獣戯画の動物達を1匹づつ模写して紹介する事にしました〜!良かったらふぉろーして頂ければ嬉しいです!(^^)
第一作目。
こうやって1匹づつ描いてったらいつ終わるんやろ?^^;、
それでは、
また、おこしやす つらら庵 ♪