つらら庵日和

つらら庵日和。

つらら庵の職人 しょーちん。の日記。

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静かな巨匠 日本画家・東山魁夷 ~人生と作品編②~

 

おこしやす つらら庵 ♪

 

 

 

”私は生かされている

 

野の草と同じである。

路傍の小石とも同じである。

 

生かされているという宿命の中で、

せいいっぱい生きたいと思っている。

 

せいいっぱい生きるなどということは難かしいことだが、

生かされているという認識によって、いくらか救われる。”

 

 

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<製作中の魁夷>

 

上記の言葉は、もはや風景画家として確固たる不動の地位を築き上げた画家の、謙遜から来る言葉か?

僕は違うと思うのです。

 

幼い頃から嘗めた数々の辛苦。肉親の相次ぐ死去。

やっと日の目を見た魁夷は、妻は居るものの、一緒になってその活躍を喜んでくれる近しい人は既にこの世にはいませんでした。

 

魁夷はこう続けます。

 

 

”物心のつく頃から、両親の愛憎の姿を、人間の宿命とも、業とも見てきた。

外面にあらわそうとしない私の心の深淵。

精神の形成される時期のはげしい動揺。

 

兄弟の若い死。

父の稼業の倒産。

芸術の上での長い苦しい模索。

戦争の悲惨。

 

しかし、私の場合は、こんなふうだったから生の輝きというものを、

私なりにつかむことが出来たのかもしれない。

 

私が倒れたままになってしまわずに、どうにか、いろんな苦しみに耐え得たのは、

意志の強さとか、それに伴う努力というような積極的なものよりも、

 

一切の存在に対しての肯定的な態度が、いつの間にか私の精神生活の根底になっていたからではないだろうか。

 

~中略~

 

ある諦念というものが、私の中に根ざしてきて、私の支えとなったのだと思う。

 

 

諦念と聞くと、あまり前向きな印象は受けないかもしれません。

しかし、”生かされている”人間の一生の中では、抗おうにも抗えない事が起こりえます。

若い頃からの苦労でそうした人生の真理を見切った魁夷は、全ての出来事をある種の

”諦念”をもって柔らかく受け止める。肯定する。

 

”諦める”と言う事は、全てを悲観した消極的な行為でなく、”全てを受け入れ、生かされた生を生き抜く”と言う積極的な行為でもあると捉えたのです。

 

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<道>

 

こちらも魁夷の代表作です。

<残照>が魁夷が世に出でる契機となった作品とするなら、この<道>は、風景画家東山魁夷と言う名を不動の物にした記念碑的な作品と言えます。

 

道だけを作品にしてしまうという斬新な着想。

まばらに転がっている、路傍の石にも、そのひとつひとつに至るまで細密に、実感のこもった描き方で表されています。

 

ところでこの道、皆さんには「これから歩む道」「来し方を振り返った道」、どちらに見えますか??

 

もちろん、当の魁夷にはその両方の意味がこもっていた事でしょう。

画家としてこれから歩む道として、又、苦心惨憺だった、もう帰る事の無い複雑な思いの入り混じった来し方の道として…。。

 

 

魁夷の絵には青系の絵が非常に多い。

 

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出典:http://www.npsam.com/uploads/exhibition/byakuya.jpg

 

”東山ブルー”と呼ばれ、魁夷と言えば青、と今日言われますが、<残照>を見て頂ければわかる様に、画業の最初から青い作品を描いていた訳では有りません。

 

魁夷は青を、 

 

「心の奥に秘められて達することの出来ない願望の色」

 

と捉えていたようです。

幼い頃から孤独に震え、あるいは孤独を友としてきた魁夷が一番自己の真理を端的に表現できる色だったのでしょうか。。

 

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<スケッチ中の魁夷>

 

 

魁夷の作品には、青を基調としている他にもう一つ特徴が見られます。

 

「人物が風景に一切登場しない」

 

と言う事。

自然を深く静観し、自分の人生観、生かされているという気持ちを風景の形を借りて

表そうとしている魁夷にとっては、あるいは人物は不要だったのかもしれません。

 

しかし、ある時そんな魁夷の風景画に変化が現れます。

白い馬が登場するのです。

 

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白い馬は、独り風景の中に佇みます。

これは紛れもない作者自身の姿です。

 

画家は風景の中に自己の投影を描き入れる事で、この大きな世界に草木と共に

”生かされている”事を、より意識的に表現したと言えないでしょうか?

 

”私は生かされている。野の草と同じである”

 

 

 

その画業が世間的に評価を受け、魁夷は生存中に皇居の壁画制作、唐招提寺壁画制作など、数々の大きな仕事を成し遂げました。

特に、約10年を掛けた唐招提寺壁画制作は魁夷の集大成となりました。

 

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出典:http://www.geocities.jp/shinmaiwa/2016/201606044.jpg

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大きな仕事を72才にして完成した魁夷。

その後も、黙々と作品を描き続け、91才で老衰のために死去しました。

 

惜しみない世間からの賛辞。

でも、それらが魁夷の孤独を本当の意味で癒す事は有りませんでした。

 

「悲しみの中に真実がある」と語った晩年…。

 

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<夕星>

 

東山魁夷の絶筆です。

 

魁夷は、実際目にした風景からインスピレーションを受けて制作する事が多く、その完成作も自身の心象風景が多分に表されている事が多いです。

 

しかし、この絶筆は、そんな魁夷の作品の中でもとりわけ心象的要素が強いと思います。

湖に木々が映る、何てことない風景。

やや不自然に等間隔で並んだ、背の違う木立。

 

夕闇が迫ろうかという空に輝く一つの星は魁夷自身で、地面に仲良さそうに並んで立っているのは魁夷の父、母、兄、弟にも見えてきます。

 

最後まで家族の温かみを求めていたのでしょうか。。

 

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”再び春は巡ろうとしている 再びあなたは帰らないであろう”

 

 

”諦め”を肯定的な意味で捉え、運命に抗うことなく生きた日本画の静かな巨匠、

東山魁夷

 

孤独と言われる現代人の私たちも、多くの事を魁夷から学べると思うのです。

生かされているから生き抜く。

悲しみ、苦しみを克服し、且つ、己の道に忠実に生きる。

 

ある種の諦念を身に付けた者のみが真の強者と呼べるのでしょう。。

 

 

 

 

また、おこしやす つらら庵 ♪

 

〇オマケ〇

川端康成と親交を深めた東山魁夷

ある時川端から、

 

「5年後、10年後京都は無くなります。京都を描くなら今の内です。」

 

と言われ、「京洛四季」という、京都に取材した連作を描きます。

その中の一つ、<年暮る>

 

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出典:http://www.yamatane-museum.jp/exh/image/exh_1111/A0754.jpg

 

今の季節にピッタリの一枚だと思います(^^)

年の瀬、新しい年を今しも迎えんとする雪深い京都の家々。

この絵について魁夷はこう語っています。

 

”年を送り、年を迎えるこの時に、多くの人の胸に浮かぶであろう、あの気持ち。

去り行く年に対しての心残りと、来る年に対してのささやかな期待。

年々を重ねてゆく凋落の想いと、いま、巡り来る新しい年にこもる回生の希い。”

 

 

…皆さん、今年もあと僅か。

くれぐれも身体に気を付けて元気に新しい年をお迎えください。

良いお年を!!(^^)/