つらら庵日和

つらら庵日和。

つらら庵の職人 しょーちん。の日記。

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社会は何色か。

 

おこしやす  つらら庵 ♪

 

ども、和雑貨屋つらら庵の職人、しょーちん。です。

またまた痛ましい事件が起こってしまいましたね。

 

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もう、何度こういう、どこに怒りをぶつけたら良いのかわからない事件が繰り返されるんだろう。

人間はね、機械管理された温室で育てられた胡蝶蘭ではない。

 

生まれ落ちた年代、家庭環境、朱に交われば赤くなるで、どんな形にもなり得る。

時には異形にも。。。

 

「死にたければ一人で死ね」

 

この言葉の良し悪しについて盛んに論じられているね。

最愛の人を失った人たちはもちろん、被害者と何の関係もないこちらですら、こういう念を抱かずにおれない。

 

人間は感情の生き物であるからして、こういう感情を抱くのは至って普通。

しかし、ここで論じられているのは、そういう発言の"良し悪し"なんですよね。

 

ここに来ると難しい。

良くは無いんだろう。

同じ人間として、生まれた時は間違いなくごくありふれた、普通の感情を有した人間だったであろうものを、異形の魔人とみなし、排除し続ける事にはなんら建設的議論も生まれないのかもしれない。

 

それと先の言葉は、常日頃孤独に苛まれている人間に対し、呪詛の言葉にもなるらしい。

 

"死にたければ勝手に死ね。他人に迷惑を掛けるな"

 

心を病んだものは、例えそれが当の自身に投げかけられた言葉で無いにしても、拡大、敷衍して自分の心をえぐる‥。

 

 

・・・こういう問題を鼻先に突きつけられると、ズバリと解決できるほどしょーちん。の経験値はまだまだ足りないらしい。

いや、ズバリと解決できないんやろな。誰にも。

 

 

‥‥ところで存在する全ての色を混ぜ合わせると何色になるか知ってますか??

答えはグレーです。

 

よく家の隅なんかに丸まってるホコリも、グレーです。

あれは、色んな色の繊維やチリが混じり合ってあのようにグレーに出来ているんですよね。

 

このグレーを"社会、世間"に見立ててみる。

 

社会は無表情な顔をしているが、内訳を見ていけば優しさ、愛、助け合い、微笑み、思いやり。または反対に、憎しみ、競争、嫉妬、嫌悪、色んな感情を含んでいるんやと思う。

 

でも、それは混じり合ったときやはり無表情で効率的かつ冷徹なグレーになってしまう。

 

「みんなで楽しくやりましょう。助け合いましょう。豊かになりましょう。」

 

ってのが社会の基本的在り方であってほしい。

そして、そうなんやと思う。実際。

 

でも、これって裏を返せば、社会の繁栄になんら寄与しない人間は排除される運命なんですよね。

 

巷で巻き起こっている、「個人を救い、扶助すべきは社会」と言うスローガン。

誤解を恐れず言えば、しょーちん。は叶うことのない悲しい叫びに思えて仕方がないんです。

 

個人の苦しみ、悩み、歪み。

これを理解する努力を、社会はしなければならない。

解決でなく、理解。

 

例の無差別殺人犯を、魔人と化し人間と切り離し考えることは、良くない。

彼もやはり人間なんでしょう。

 

ただ、彼を救えたのは社会では無いはず。

社会で爪弾きを受けたから、彼は歪んだのか?

家庭環境、ひいては個人的性格なんかも複雑に絡み合っているので、一概に何が原因かを突き止めるのは非常に難しい。

 

しかし、社会がそういう個人をどこまでバックアップできる??

残念ながら、"楽しくやりましょう、助け合いましょう、豊かになりましょう"の元無表情に冷徹にひた走るブルドーザーのような世間に、彼のような一個人を救うことはできないと思う。

 

もっともっと世間というものを最小単位で考えればいい。

先ほども言ったように、世間とは愛や憎しみや助け合いや競争理念などという雑多な感情をひとまとめにした袋なんですよね。

 

本当に救いを求めるなら、自らがその袋に身を投じて救いになるものを求めていかないといけない。

その努力も気力も無い人間は、残念ながら人間の感情の総体である無表情で冷徹な"世間"という袋に押しつぶされてしまう他ないと、そこまでしょーちん。は思います。

あの大きな袋が一個人を救う事はあり得ないんです。本当に。

 

僕たちがこの残酷な現代に願える事は、社会や世間からそういう人たちが手を差し伸べられる状況ではなく、個人が世間の最小単位の1つである、優しさや愛に巡り会い、身を立て直してくれる事。

 

こんな薄い薄い希望なんですよね。

世間は弱いものを踏み潰し、蹴散らし、進む。

それはこの世の定めなんです。これだけは絶対に未来永劫変わらない。

 

これからも魔人と化した人間は生まれ続ける。

尊い命の犠牲ももちろん一定数は出てくる。

僕たちに個人に願えるのは、そういった状況に出くわさないという、運のみに思えてくる。

 

この記事も、最後に救いの道を考え、明るく締めくくりたかったが、どうやら無理らしい。

世間や社会を議題にして明るく締めくくることは、出来ないらしい。。

 

しょーちん。は有象無象の袋に飛び込んで、愛を探すよ。個人は個人にしか救えない。。

 

ー 今回犠牲になった方々、心より哀悼の念を表します ー

 

 

 

また、おこしやす   つらら庵 ♪