"こころ" について。
おこしやす つらら庵 ♪
こんばんは。今日は、副業としているネットビジネスの取り引きや、梱包、配送作業をした以外は、何事もなくグダグダーでした。
しょーちん。自宅のつらら庵から歩いて2分の山の中で、(過去記事で、謎の裏が白くない"ウラジロ"を採った所です。(^_^;))
以前から気になっている、これまた謎の多い、石碑?いや、これは石ではなく木やから、さしずめ"木碑"といったところか…。が、有るのでそれを紹介したいと思います。この木碑、どこかの組合さんか、地域の会が建ててるっぽいので、これから書く記事が、批判するわけでは無いのですが、若干ばかにしてる様に見受けられると困るので会の名前は消しておきました。 それがこちら。。。
"子供叱るな来た道だ 年寄り笑うな行く道だ
来る道行く道一人道 通り直しのきかぬ道
今日も行きます人の道"
・・・深いんだかどうなんだか…。(-_-)
いやね、いっちゃん最初に見た時は「おっ、なんか深イイんちゃうの?」と思ったんですけど、よくよく考えると色々と気になるんです。まず、、、
最初に書いた二行が、後の事考えんと書いてもうてるから最後になるにつれて字ちっちゃなってもーてるやん。
書き初めによくあるやつや。
そして、、、
言うてるお前は何者や?
推測するに、普段から笑われてる年寄りやな。せやから来る道も行く道も一人なんやろ?
最後に、今日も行きます人の道…。て、、、
お前が行くんかい!!!!!!
てっきり、これからこの道をゆく若人(わこうど)に向けての餞(はなむけ)の言葉かと思たがな!まさかの自戒とは…。
一人称、二人称、はっきりしてね。
しかも、この木建ってる道を行ってもただただ山やで。
叱るべき子も、笑うべき年寄りも居ずただただ山で、文字通り一人道なのできーつけなはれや。
結局めっさ悪口になってもた(笑)いやいや、でもね、電車で泣いてる赤ん坊に大の大人が怒鳴りつけたり、耳が遠くなったお年寄りを見て、同じ道を辿るのに笑うなと言うことです。
うん、大事なことや!!(←フォロー(笑))
閑話休題。今日は"こころ"の話です。
こころと言っても、僕は 心理学者じゃござーやせん。
この人の書いた小説の話です。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Natsume_Soseki_photo.jpg
昔の千円の人と言っちゃだめよ。
ご存知、夏目漱石です。
僕が人生で一番最初に読んだのがこの漱石が書いたこころだったのです。
調べてみると、最近は学校の国語で教材として習うらしく、皆さんにとっては勉強の嫌なイメージが付いている作品かもしれません。
実は、しょーちん。は小学校高学年から中学時代全般まで不登校だったので、その辺の事情は分かんないんですよねー。
読んだきっかけは、高校の社会科担当の先生がとても哲学に造詣が深く、授業の合間合間に、色々な哲学者や小説家を紹介してくれたことなんてす。
中でも僕は特に夏目漱石が気になったのでした。(^^)
最初に古本屋で求めたのはあの、吾輩は猫であるです。
でも、一度も本を読破したことの無い僕は途中で挫折してしまいました。理由はあの厚みに加え、漱石特有の諧謔性や風刺を、まだ飲み込めてなかったんでしょうね。
「なんか猫の愚痴がダラダラつづくなー。」
と思ってしまい、100ページにも届かず挫折した記憶が有ります。
そこで断言します、、、
漱石の作品の中で坊ちゃんと並ぶ程の有名作で、処女作でもあることから、ついつい吾輩は猫であるから読みがちですが、この作品は漱石の思想、本質を知ってから読むほうが面白いんです。
もちろん、名作には変わりないんですけどね。
さてさて、吾輩は猫であるで挫折してから少し時を隔て、ふとした時に、吾輩は猫であると同時に買った、これまた漱石の本が家に有った事を思い出し、棚を漁ると出てきたのがこころでした。
我が猫(←面倒臭くなってるやん。)の半分くらいのページ数やし、こころと言うからにはさぞかしハートウーミングな話なんやろな~。と軽い気持ちで読み、読み出したら止まらず割りと短期間で小説の初読破をした、僕にとっては思い出の本なんです。その後読書魔に。(笑)
でもでも、優しそなタイトルとは裏腹に
超絶暗い本でした。(汗)(^_^;)
しばらく実生活が鬱になったもんねー。ドストエフスキーの罪と罰でもなったけど…。
今日は本の思い出の話でした。こころの作品についての言及を期待した方、すみません。m(__)m
漱石先生は大好きなので、また別の記事でこころも含め熱っぽく語らせて頂きます(^^ゞ
今日はなんか纏まりの無い記事になったなー。冒頭の謎の木碑のせいや。←また悪口!(笑) それでは、
また、おこしやす つらら庵 ♪